河北町の紹介






山形県西村山郡河北町は山形県の内陸の村山地方にある町で、寒河江市・村山市・天童市・東根市に隣接しています。

面積は県内市町村で狭い方から三番目ですが人口約2万人で、これは県内35市町村の中では15番目、町村では3番目と、狭いながらも多くの人が暮らす街です(数字は平成26年3月31日現在)。

町の東部に最上川が流れ、古くから舟運によって栄えた町でした。
江戸時代には最上紅を京都に運び、もどる船によって、京都の文化がもたらされた町でもあります。

近隣に葉山などの山がありますが、町の約8割が平地です。
平地には広い水田やさくらんぼ畑などが広がっています。
近年は秘伝豆といわれる大豆の生産も盛んになりました。

河北町の行政・産業の中心は谷地地区です。

河北町は「おいしい山形空港」、山形新幹線「さくらんぼ東根駅」、東北中央道「東根インターチェンジ」、山形自動車道「寒河江インターチェンジ」などまで、さほど離れておらず、町内に高速幹線道等がないにも関わらず交通には大変便利な町です。

かつての谷地地区も、最上川の舟運や、月山を経て庄内地方にでる「六十里越街道」、新庄市を中心とする最上地方に通じる「西部街道」、仙台方面に通じる関山街道などにも近く、交通の要所でした。

米の生産量も高く、山形に次ぐ商業地として発展した地区でした。

現在、河北町では10基の市神があります。
その内の1基は谷地の慈眼寺に保管されていて目にすることができないのですが、他の9基は今でも道の脇や神社の境内などに安置されています。

10柱の市神というのは山形県内でも最高で、それだけかつての河北町(谷地)が賑わっていたという事になります。

谷地は城下町で、城主は現在の村山市白鳥地区から入部した白鳥(しろとり)氏でした。
白鳥氏以前の城主は中条氏でしたが、中条氏が住んでいた舘は最上川の流路変動で、現在、最上川の川の中になってしまいました。

現在の谷地の街並みは、中条氏の跡を継いだ白鳥氏によって作られたものと言ってもいいと思います。

白鳥氏が関係したと思われる市は9つで、その中でも北口の下市が現在、谷地の春を彩る「ひな祭り」に発展したといわれています。

残りの1基は河北町溝延にあります。
溝延も城下町で城主は現在の寒河江市を治めていた大江氏の一族です。
こちらの市も溝延近隣の生活を支えた、大切な市だったことでしょう。

市は日をかえて行われるものですが、10もの市が日をかえて行われていた、つまりは連日のように、いずれかの所で市が開かれていたことになります。

白鳥氏が山形城主の最上氏によって滅ぼされ、谷地は最上氏が治めるようになりましたが、その最上氏も江戸時代初期に改易、その後はその肥沃な土地や冥加金などから、谷地を領地としたい大名同士でいざこざが絶えなかったようです。
そこで、江戸幕府は現河北町の北部を新庄戸澤藩領、南部を上山藩領、その間は幕府の直轄地にわけて治めることになりました。

この影響が、谷地の秋祭りの「どんが祭り」に現在でも残っています。
どんが祭りは谷地を3つの地区にわけ、一年交代で運営されます。
どの組も他の組に負けない祭りにしようと、競いあい、にぎやかな祭りが開催され続けています。